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Diary : よっこらセンチュリーボーイ

大晦日に撮ったやつから一枚。閉店後のメガネ屋のシャッターだけど…天狗がシュールすぎる。

一瞬にして各SNSのタイムラインがデビッド・ボウイ一色になったな…。まぁそれだけの大ニュースだとは思うけど個人的にはあまり通ってきてないから実感わかないな…誰の訃報だったら一番かなしいんだろう…やっぱボブディランかな。でも歴史の節目としてちょっと動揺するくらいでそんなに悲しむことはできないんだろうな…。むしろ言葉の壁を超えて悲しめないこと自体が悲しい…。グラムロックっていうジャンルで考えたらどちらかといえばマーク・ボラン派だけど…調べたら既に亡くなってた…というか俺が生まれる前に死んでんじゃん…そのくらい浅くしか知らなかったんだな…。もっと見れるうちにいろいろ見ておこう。

で、マークボラン→21世紀少年→っていう連想のつもりではないんだけど「二十二世紀写真史」をようやく読み終えた。ある一人の写真家が30数人の写真家と対談した記録なんだけど800ページ以上あって手が疲れた。小説よりは読みやすいけど手は疲れる。だいたい飯食うときに読むから右手がプルプルするくらい(自分、箸は左です)疲れる。いろいろっていったらそれまでなんだけど、みんなそれぞれいろいろなスタンスでやってるんだね。「写真好きなんすか?」って聞かれたら返答に戸惑うんだけど写真家っていうポジション?肩書き?職業?のふわっとした曖昧さは好き。わかりにくいかもしれんけど…妻一筋50年!みたいな硬派な男性が「女好きなんですね」って言われたらムッとするけど「私が愛しているのはあらゆるおっぱいが普遍的に持つファンタジー性です!」と答えたくなるような…そんな感じだ。余計わかりにくいことはわかる。わかるよ。わかってるよ。

自称写真家、自称ミュージシャン、自称アイドル…そこに人間臭い葛藤とかドラマがある気がする。そしてたぶんネット文化とかの広がりによって「自称できるゾーン」も常に広がり続けてて全人類が「何者か」になりやすい時代になってる。そういう選択肢が多いからこそ「なんでそれなん?」っていう理由が大事で理由さえあればOKなところは好き。「俺にはこれしかないんだ」みたいな古風な精神論は好きくない。そんなこんなの世界の二十二世紀はたしかに見てみたいな。写真うんぬんじゃなくて単純に未来を見てみたい。あと80数年?生きるかな。死ぬかな。世紀を越えていけ!よっこらセンチュリー!